和の輪を継ぐ。-其の弐-
ひとつひとつ揃った円を整形しながら、
ひとつひとつ違っている。
DNAの増殖のよう。ひとつの家系に伝わる顔のよう。
生んじゃう、生んでいく、生まれていく。
この脈々とした、淡々とした流れに魂が揺すぶられる。
オーバルになろうが深底になろうがちゃぶ台になろうが。
「円」のたゆたいは同じ釜の飯を喰らっている。
伝統ってそういうものなんだよと語りかけてくる。
幾つもの輪が整然と収まる“入れ子”を眺めているうちに、
蝙蝠のへその緒が、びゅん、とフライの釣り糸のように
古の時空に飛んでいくような気がした。
二代目の正昌さんは、父の背と技を眺め追いつつ、
自分なりの進化のDNAをわっぱ宇宙に宿そうと精進し続ける。
父がいなければ彼は「それ」を生むこともなかったろう。
七つの子ならぬ七つの入れ子。
ぴしっ!と気持ちよく収まるように仕上げるには、
かなりの熟練を要する。まるで男女の和合のよう。
一筋縄ではひとつになれない。魚心と水心を呼吸して、と。
そして、杉は形を変えて再び、年輪を描きはじめる。
お弁当を食べ終えたら、ひとまわり大きい寸法のわっぱが
ひっくり返ってピタリと蓋に転身。
その繰り返し。
七つ子兄弟のせわしなさから生まれるような、
合理的な発想の“世話もの器”。
ああ、なんだか、涙が出ちゃう。
家族の円と和のループが、
両手に収まるほどの小さな宇宙の中、無限にひろがる。
職人って、特別な職業じゃないなあ。とても普遍的。
家族のルーツを示す、伝道師みたいなものかもしれないね。
写真は二代目・正昌さんと、江戸時代の入れ子わっぱ
(株)柴田慶信商店
http://magewapp.hp.infoseek.co.jp/
http://www.chuokai-akita.or.jp/magewappa/shibata/index.htm
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