コピーライターの死。
サクセス、サクセス。
あくせく、アクセス。
悪く、急く、生きるな、キケン。
2009年3月27日、
コピーライターの土屋 耕一氏が亡くなった。
享年78歳。
という記事を見て、そんなにお歳だったのかと驚く。
何故なら、蝙蝠にとって永久に「現役」の
コピーライターの師、だから。
でもね。そうか。そうかもね。
蝙蝠のコピーライター初めとしてのバイブル
『土屋耕一のガラクタ箱』
と出会ったのは、
もう、そう、かれこれ
四半世紀近く前にもなるんだから。ねえ。
資生堂コピーライターの第1号になった人。
サントリーのコピーライター第1号は、
言わずと知れた『洋酒天国』の開高健だ。
兎にも角にも、「第1号」ってカッコいいよね。
ふん。ふふん。
軽い機敏な仔猫何匹いるか
→カルイキビンナコネコナンビキイルカ
この回文を未だ超えられずにいる愚鈍な蝙蝠。
一生メビウスの輪上を彷徨ってるのかもしれん。
ナントカ養成講座とか、ナントカ教室に
足しげく通ってナニかをモノにしようなんて、
そういう発想自体がクリエイティブじゃないわぁ。
盗め、狩れ、反復して身につけよ。
無冠であれ。ノーライセンスで行け。
エルネスト・チェ・ゲバラよろしく
そんなゲリラ戦法で生き抜きたいと、
眼とハートだけがただひたすら
ギラつきまくっていた野生なる20代。
土屋耕一という存在と発想法を知り、
「コピーライターというダンディズム」に魅せられた。
なぜ年齢をきくの。
と、1976年の伊勢丹に言わせて矢を射った
鉄人狩人の、さて、そのココロは?
コピーは
キャッチフレーズだけを読ませるものではない。
その真理を…最初に気づかせてくれた師である。
それにこの時気づかなければ、
今の蝙蝠は無い。
きっと、ごはんも食べて来られなかった。
春になって。小蕪から花が咲いて。黄色と知って。
そうして。
能ある鷹は爪を毎日トキトキに磨いておきながら
涼しい顔〜で隠しとくもんじゃろ、っていうのを
ようやく修身し始めた薮蝙蝠かな。
写真は、豊田の老舗酒蔵「浦野酒造」にて
蔵開放に本日訪れ、拝ませてもらった100年桜。
昨年にも増して雄々しく瑞々しく麗しく。
酩酊に誘う爛漫模様は華やかなりし甲なれど、
春雨にそぼ濡れる花八分目の風情もまた、乙なもの。
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